未知への入口

知らなかったことを知る。

あいまいであったことを学ぶ。

そうすると、自分の見ていた世界はなんて狭く限定されたものであったのかということ気づく。

 

たとえば、ネット番組で、吉木誉絵(のりえ)さんが、古事記と今の日本人の行動や思考とのつながりについて話されているのを見て、私は古事記には関心のある方だと思っていたけど、まだまだ全然奥が深くて、自分の理解がなんて浅かったのかということに気付かされる。

たとえば、社労士試験勉強で、労働組合法について読みながら、別の見方をすれば、日本は使用者と戦う以外の交渉はそれほど必要とされてはこなかったんだよなぁと連想する。すると、日本の歴史、島国であることのメリデメ、など、深めるべきテーマがまだまだ山ほどあることに気づく。

勉強するということは、何か知識を身につけているようでいて、自分が無知であることに気づかされることだと感じました。

そして、どれもこれも、そう簡単に知ることなんてできなくて、結局無力感で終わる…。

 

そう考えると、勉強ってとても怖いことかもしれません。

人は、年を重ねれば重ねるほど、安心したいものです。今の自分、今までの自分を否定したくない、されたくない。変わることは大変だから、自分と違うことを否定して、自分を守りたい。

私自身、ふとすると、新しいチャレンジにどんどん臆病になっている自分に気づきます。だからこそ、意識的にはじめての機会を作っていかなければと思う、エネルギーのあるタイミングで。

 

知るということは、未知の世界への入口なのかもしれません。知ることで知らないことに気づく。もしかしたら、自己嫌悪や無力感が出てくるかもしれないけど、それでも、自分の中の世界は確実に広がっていて、一歩先に進んでいる。知らないということを知るというのは、それだけ価値があることだと思います。

だからこそ、自己嫌悪や無力感を避けて知らないままでいることを選ばないですむように、知らないことを知ることを、チャレンジすることを、歓迎する雰囲気が広まっていったらいいなと思います。