「当たり前」を疑う力を養う
今さらですが、『進撃の巨人』を読みはじめました。
アメトーークの特集があって、少しネタバレの状態から読み進めているところです。
このマンガを読むと、「当たり前」を疑う力を養うことができるのではないかと、ふと思いました。
今何が起きているのか、矛盾や違和感はないか、ということを意識しながら読むと、少しだけ予想ができるようになります。全然間違っていることもあるけど、かすることもある。
大事なことは、そうやって立ち止まって考えてみることかもしれません。
なんとなく読み進めようと思えば読み進めることもできる。でも、その背景や外側に何があるのか、なぜこんなことが起きているのか、意識を張り巡らせながら読むことは、日常の「当たり前」に立ち止まる力につながるかもしれないと思いました。
正直今までマンガが何かの役に立つと思ったことはありませんでした(歴史マンガとか、中身自体が勉強になると思ったことはもちろんありますが)。
ただの趣味、遊び、と切り捨ててしまうのではなく、こんなふうに、楽しみながら生きる力を育てることもできるのかもしれません。
与えられたものをただ盲目的に信じるのではなく、そこにある矛盾、全体像との関係、歴史、いろんなものに興味を持てるようになると、より立体的な世界を、自分の意思で渡っていけるようになる気がします。
虫がこわい理由
うちにはクモがよく出ます。
最初は、ビクッとして、外に出さなきゃ(殺さない方針)と頑張ってましたが、最近は、おはようと声をかけたりする間柄になりました(笑)
となって、先日Gが出た時も、うぉー!とはもちろんなりましたが(笑)、よく見るとかわいい?というくらいの気持ちに((((;゚Д゚)))))))
そもそもなんで虫がこわいんだろう、基本的に何もしない(ハチはめちゃくちゃ怖いです)のに、むしろこわいのはあっちの方だろうに、なんでこわいんだろうと疑問が出てきました。
たどりついたのは、みんながそうしてるから。
たとえば親がこわがっているから。学校の友達がこわがってるから、なんならそれが女の子らしくてかわいいとか言われてるから。
虫はこわがるものだと刷り込まれたのかもしれないなぁと思い至りました。
もちろん本能もあるでしょう、急に動く、対応できないスピードで飛ぶ、とかを危険だと認知して、反射的に行動させられている部分もあるのではないかと思います。
でも、社会の“こうあるべき”の方が強いかもしれない、と思いました。
最近カウンセリングを受けていて、自分がどうしてこんなにも怒られることがこわいのか、なぜこんなに完璧を目指すのか、なぜマイナス5点にこんなに落ち込み苦しめられるのか、その理由がわかってきました。小さい頃の経験は、こんなにも当たり前に染みついている。
もしかしたら、そういうものがまだまだたくさんあるのかもしれません。当たり前と思っていることの多くは、習得してきたことなのかもしれない。
自分にも周りの人にも、自分の感覚を大切にできるような関わりをしていきたいと思います。
期待することの怖さ
「リッチマン プアウーマン」の再放送を見ました。
人に裏切られた経験をしてきた人にとって、人を信じることはものすごく怖い。
いっそ裏切られた方が、ほっとする。
そのことをあらためて感じました。
期待してしまったら、その分、裏切られたときのショックが大きくなる。そのショックの大きさを知っているからこそ、期待することが怖い。またダメだったらどうしよう、積み重ねるごとに、期待することがどんどん怖くなります。
それはきっと当然な防衛反応、自分がこれ以上傷つかなくてすむようにと自分を守る方法です。
でも、そこより前には進めない。
本当は信じてもいい人も自分から切り捨ててしまうことになりかねない。
自分を守る方法が、一方では自分を苦しめることになりうる。
変わるということはものすごく大変なことです。今までと違うやり方、うまくいかないかもしれない不安、まわりからどう見られるのだろうという恐怖、その先にある。
それを一緒に乗り越えてくれる人がいると信じられるかどうかは、大きなターニングポイントの一つだと思います。
変わることに挑戦し続けられる、変わることを歓迎できる社会であってほしいと思います。
継続がゆえの課題
私は数人の仲間で定期的に意見交換をするグループをやっています。
コロナ禍ではじめて数ヶ月。
最初の1、2回がとても有意義でうまくいったので、継続すればいいのかなと思っていたら、回数を重ねるごとになんとなく停滞感が出てきました。
なので、仲間と相談して、少し形を変えていこうかなと思っています。
以前うまくいっていたことでも、継続することによって、それは少しずつ変わっていくのだということがよくわかりました。
ただ漫然と継続するのではなく、今ここでうまくいっているのかというアンテナを絶えず立て続けることが大切だと思いました。だからこそ、今回軌道修正できた。
テレビを見ていても、以前はとっても面白くて大好きだと思っていた番組が、しばらく経つと飽きてしまうことがあります。内容はまったく変わっていません。面白いけど飽きる、みたいなことがよく起きます。
人間の慣れる力はすごいです。慣れることができるからこそ、生きていける、と思います。
でも、だからこそ、絶えず検証しつづける力が大事だとも思います。
長期政権、継続されたことは本当にすごいことだと思います。毎年総理が変わることに、呆れていましたから。
でも、継続するからこそアンテナを立て続けなければならない、そこが不満につながっている部分もあるのではないかと思います。続くことが当たり前になったからこその期待もきっとあります。
新しいことをはじめるのは大変ですが、続けることはもっと大変。何か続けている人がいたら、それだけで十分すごいことだと伝えてあげたいです。
優先順位、ちゃんと休むこと
先日、試験を受けました。それまでの期間、なんだかんだと試験勉強に励みました。それまでルーティンにしていたことが、その間できなくなりました。
たとえば新聞に目を通す、ストレッチをする、とか。
本当は続けた方がいい、けど、全部やるとパンクしてしまうから、その期間は優先順位をつけて、と思っていました。
ルーティンって、どうも窮屈だなぁと感じます。
いろんな記事や本で、こういうことを習慣にするといいよーと書かれている。
続けられないと自分がなんだかダメな人間のように感じる。
もちろんルーティンを続けることでいい効果のある人もいるんだと思います。
でも、少なくとも私には合わない。気持ちの向かない時にやってもどっと疲れるだけで得るものが少ないと、経験的に感じています。
ルーティンを続けることよりもなによりも、今の自分にとって何が必要なのか、試行錯誤しながらつかんでいくことが大切ではないかと思います。
休むことが大事なこともある。やるべきと思うことを横において、ちゃんと休んであげたい時がある。
そのことを、ちゃんと気づいて行動してあげてほしいと思います。私も、あなたも。
私自身、こんなにぐうたらしていて、またやる気が出る時なんてくるんだろうかと思うことがあります。何にもせずゴロゴロして、好きなことだけして、なんとなく罪悪感があって。
でも、エネルギーが溜まってくると、やる気って出てくるんですよね、不思議と。
今も不安に感じることはありますが、そのうちやる気が出る自分を信じて、意識的に休むようにしています。
%と一人
安倍さんが首相を辞任しました。
政治の方向性を考えるときに、たとえば世論の何%とか、国民の割合で考えることが多いです。もちろん、政治は国民の生活を左右するので、多数の意見を重視するのは当然ではあります。
その上で、やっぱりその先には一人の人間がいるんだということを、忘れてはいけないんだと、今日あらためて感じました。
一人の人間の生活があり考えがあり想いがある。
その一つ一つ、すべてを大切に抱きしめたうえで、その最善策はなんだろうかと一生懸命一生懸命ひたすら考えて、その考えを一つ一つ丁寧にわかりやすく伝えていく。
そういう在り方が大切だと思います。
顔が見えて、言葉が聞ける、有名人でなくても誰とでもつながることができる社会になりました。
世の中には、こんなことを考えている人がいるんだなぁということを知りやすくなった。それはとってもいいことだと思います。
全部知ることはできない、物理的な限界はあります。でも、だからといって、%に頼りすぎるのではなく、その中の“一人”にアクセスすることを諦めないことも、やっていけたらと思います。
想定と柔軟なあきらめ
私は今、麻雀にはまっています。
見ているととてもおもしろくて、勉強になります。
麻雀の打ち方が勉強になるのはもちろんですが、もっと勉強になるのが、その考え方の柔軟さ。
手役を作ってあがるのですが、この手にしようと思っても、思い通りに牌がきてくれることは滅多にありません。
今ある手牌から考えられる手を最大限に考えた上で、くる牌を踏まえて柔軟に変わっていく。
大きな手ができそうだと思っても、そこにこだわりすぎないバランス、いい意味でのあきらめ、結果としてあがれなかったときも引きずらない気持ちの持ち方。
とっても勉強になります。
私はまだまだなので、いい手ができてきてたのに上がらなかったら悔しいし、振り込んだら落ち込むし、ビリになったらめちゃくちゃ悔しいです。
でも運も流れもある。動画を見ていると、プロだって勝てない時は勝てないのだと驚きます。不思議なゲーム。囲碁や将棋、オセロなどとは完全に一線を画していて、そこもまた面白いです。
プラスに考えることが大事なんだなぁと思います。
今日見てた動画では、上がった人のことを讃える言葉を毎回言っていて、それがとても素敵だなと思います。
自分がダメだった、ではなく、相手がすごかった。
自分はできることをやった。それ以上に相手が素晴らしかった、と。
そんな風に、日常でも考えられる人間になっていけたらいいなぁと、麻雀から日々学んでいます。