「我慢」

我慢って必要なんだろうか、と疑問に思って、語源を調べてみたら、「我慢」って仏教用語なんですね。知らなかった。。

そして、もともとの意味は「我に慢心を抱く」だそう。たしかに漢字を見るとそりゃそうだ、と思いましたが、日常使われている意味とは全然違う。

 

自分の考えを曲げることもできず、でも、まわりとも折り合えず、結果耐えるしかない、ということが今の「我慢」の意味につながっているのだとしたら、「我慢しなさい」っていう言葉はなんて苦しいことを強いているのだろう。

 

むしろ、自分の気持ちや考えと、世の中との折り合いの付け方を学べるように支援することが大事であって、我慢を強いるということは自分と世の中とのギャップをどんどん広げさせてしまうだけではないでしょうか。

そうした支援の仕方がわからないから我慢させるのだとしたら、我慢できない人を非難するよりもまず、我慢をさせている自分を反省した方がいい。でも、世の中にはこの点を拾うアンテナをもっている人がとても少ない、そのことに時々ものすごく悲しくなります。

 

どうか、「自分さえ我慢すればいい」と自分を追い詰めないでください。

あなたが悪いわけじゃない、あなたに我慢しなければいけないと感じさせるまわりが未熟なのです。