「勉強」のイメージ

勉強、という言葉を聞くと、どんなイメージが出てきますか。

嫌なもの、めんどくさい、できればやりたくない。

そう思ってました。

だから、厚生労働省に入って、担当した制度の勉強をするよう言われたとき、えー、また勉強しなきゃいけないの!?と思いました。

頑張って試験勉強して入って、また勉強なのか、と。。

 

勉強がなんでこんな嫌なイメージなのか考えると、やっぱり学校なんだろうなぁと思います。

学校、勉強しなければいけない、とされていた。勉強が「できる」ことに価値が置かれているように感じて、できていないと自分はダメなような気がして、一生懸命やってきました。

でもだから、勉強と言われると、楽しくないし、自分が足りていないことを突きつけられるような気がして、とても嫌でした。

 

変わってきたのはここ最近かもしれません。

勉強とは、新しいことを知ること、知ることで自分の世界が広がって、見方がほんと少しずつでも変わって、新しい人や情報とつながりやすくなる。

今は勉強を、無理のない範囲でやるのはむしろ好きです。人生で一番、本や文字を読んでいると思っています。

 

これって、学校教育の一番重い罪なんじゃないかと思っています。

勉強が「楽しい」ということを伝えられていないということ。

どんな知識を身につけて、どんな計算ができるようになるよりもずっとずっと、勉強が楽しいということを実感することは、価値があることだと思います。それさえあれば、知識や技術は、必要になったらいつでも習得しようとすることができるから。

 

この大きな変化のタイミングで、学校教育のあり方が大きく変わっていってくれたらいいなと、心から思います。