「失われた時間」

今、休校措置がとられていることについて、「失われた時間」という表現を使っている人がいました。

「失われた時間」、そうなんでしょうか?

従来の勉強について考えれば、たしかにその時間は失われたかもしれません。

でも、かわりに学んでいることもあるはず。

たとえば、家での勉強の仕方(自分が一人学習が得意か不得意かを知ることも含め)、家での遊びの創造、我慢すること、社会がこんなに変化しうるということ、など。通常の学習の中では学べないことばかり。

こういう事態に子どもの頃に遭遇したら、社会は決して不変ではないということがベースになって、柔軟な生き方ができるかもしれない。

もちろん、虐待などによって苦しい環境に置かれている子どもについては、学び以前の支援が必要だし、この事態がいいものだと言うつもりもありませんが、今の状況を「失われた」という表現でまとめてしまうと、それこそ、今だからこそ得られるものが見えなくなってしまうような気がします。