「正しい」のもつ攻撃力

日本の教育は、正解は何かを問うものが多いようです。少し前に、共通一次試験で自由記述問題の導入が議論になっていましたが、結局今のところ導入されていません。

 

「正しい」ことは、一見すると、いいことです。少なくとも私は、言語非言語で、そう教わってきました。

でも、最近は、「正しい」がこわいと思います。

正しいということは、つまりそれ以外は正しくないと言っているわけです。そんな正否が明らかなこと、この世の中にどれだけあるでしょう。

法律、本、事実……事実も時として記憶で歪んでいますし、性格、考え方、言葉……ここまでが正解だと断言できるものって、むしろほとんどないのではないかと思います。

でも、正しいことが正しい、強い、という風潮がなんとなく当たり前にはびこっているような気がします。

私はその正しさに傷つく。

正しさの外に排除されたものを守りたくて傷つくことがあります。

正しさの攻撃から守るために、傷つく、反撃はできないから。

 

正しい、を振りかざすことは、簡単だと思います、正直。楽をしていると思ってしまいます。

絶対的に正しいことなんてほとんどない、それなのに、正しいということに屈服させられてしまう、なぜか、正しくないと言われたこちらが悪いのだろうかと思わされてしまう。教育のせいではないかと思います。

 

「正しい」ということのもつ攻撃力を、使う人はどうか知っていてほしい。その言葉がどれだけ人を傷つけ、追い込みうるのかを、意識してほしい。

私は今、正しさに傷ついているんだなぁと思います。