批判することの安易さ

ちまたには批判が溢れている。ネットではなおさら。

自分が正当に批判できそうな人やネタを探して、熱心に否定の言葉を発する。

でもそれって、安易ではないかと思ってしまいます。

 

批判するって簡単なこと。自分の意見だけ言っていればいいし、なんとなく相手より優位に立てた感じがする。でも、ほんとは全然違う。

最近だと、マレフィセントという映画ができたり、悪役とされる側の気持ちを知ろうとするものも増えている気がします。

みんな知っているはず、世の中が善人と悪人に分かれるわけではない、それほど単純ではないということ。

でも、自分のまわりで考えると、単純にしちゃうのかな、その方が楽だから。

 

吉本もひどい、あおり運転なんてもっともっとひどい。でも、それを批判することは何になるのか。ただの自己満足でしょう。

批判ではなく、どうしてそういうことが起きてしまったのか、その背景には何があるのか、一企業や一個人の要因と片付けていいのか、それとも日本社会全体として考えるべきなのか。

そういうことまで考えるのが、真の大人なのではないかと、私は思うのです。

 

私個人に対する否定的な言葉も、本当はそんな風に捉えてもいいのではないかと、頭では思います。安易な批判は相手の自己満足でしかない、私は受け取らなくていいと。

でも、否定されるとつい身構えてしまって、そのまま、相手の言っていることを受け取ってしまいがちです。自分も悪かったのかなと思ってしまう。もちろん悪い面もあるでしょうが、でも、批判を全面的に受け取る必要もほんとはないと思う。

ついつい受け取ってしまうのは、もしかしたら、日本の教育の問題もあるのかもしれません。言うことを聞きなさい、という文化。でも、それよりもまず、あなたはどう感じるのか、どう考えるのか、が本当は大切なはず。そのうえで、相手の言っていることを受け取るのか、受け流すのか、反発するのか、考え行動すること。そういうことを、これから育つ子どもたちは学んでいってほしいと思います。

 

批判する人をみたら、弱い人なんだな、とまず思うようにする。そしたら、脅威が少し薄れて、関わりやすくなる、きっと。日々練習…。