誰かを失うということ
「心の傷を癒すということ」というドラマ、たくさんのものをいただいています。
テーマは阪神淡路大震災。
たくさんの人が亡くなりました。
といっても私にはほとんど記憶がありません。
誰かが亡くなると、どうして悲しいのか。
子どもを失って泣き崩れるお父さんの映像を見ながら、ぼんやり考えていました。
知らない人が亡くなっても、かわいそうとか残念とかは思っても、悲しくはなりません。
芸能人が亡くなっても、大好きな人だったら悲しいかもしれないけど、たいていは事実として受け止めるだけ。
介護で疲れている人にとっては、親が亡くなることでほっとすることもある。
人が亡くなる=悲しい、では少なくともないのだと思っています。
ではなぜ悲しいのか。
私がたどりついた答えは、その人の未来を想像していたから、想像していた未来が失われてしまったから。
子どもと一緒に笑っている未来、友だちとたくさんおしゃべりする未来、同僚と一緒に仕事をする未来。
期待していたものが失われてしまったからではないかと思いました。
誰かを失ったから、当たり前に悲しいのではなくて、一人一人の中にストーリーがあるのではないか、そこまで想像して、知ろうとして、関わらないと失礼なのではないか、「当たり前」なんかではない、一人一人の悲しみがあるということ、誰かを失うことが必ず悲しいわけではないということを、わかっていないといけないのではないかと思いました。
わかったようなフリをしてはいけない。それは、自己満足でしかない。
心理職として、いつも反省している、大切なこと。