“家族”の定義

家族の定義を変えてもいいのではないかと、時々思います。

血の繋がりや、結婚って、そんなに重要でしょうか。もちろん重要なのですが、それによって窮屈になっていることもたくさんあると思うのです。

 

たとえば、今回の定額給付金10万円の配り方。なんで世帯単位なんでしょう。家族が必ずしも仲良く平和であるわけではありません。DVから逃げている方への給付について対応はされていましたが、子どものお金を自分の娯楽につぎ込んでしまう親もいたかもしれませんし、妻にお金を渡さなかった人もいるかもしれません。

突貫工事で検討の余裕がなかったのかもしれませんが、ここで世帯単位が出てくることが、日本の旧態依然とした性質を象徴しているような気がしました。

 

それから介護。今、「毒親介護」という本を読んでいますが、家族が面倒をみるものだという呪い(制度)に苦しんでいる人がたくさんいました。育児もそうですね。預けることを認める社会にしていこう、というような趣旨の記事を最近見ましたが、そのとおりだと思います。自分の楽しみを優先したい人もいるんです、それを責めたって仕方がない。それよりも、じゃあそんな中でいかに子どもをいい環境で育てるか、を考えた方がいい。親に育てられることが子どもの幸せだなんて、迷信です。優しく自分を認めてくれる他人に育てられた方が幸せなことだってある。

 

あと、気になっているのは孤独死、というか孤独。独身で高齢になると仕事をやめた途端に一気に孤独になります。孤独はこころも身体も蝕む。みんなで暮らすマンションみたいなものができていましたが、いっそ、一緒に暮らす人が家族、という定義でもいいんじゃないかと思うくらいです。

 

昔の生活は家族がないと成り立たないものだったのでしょうから、家族単位で制度ができているのもしかたないと思います。

でも、時代は変わりました。制度をどう変えたらいいかというのは難しい問題です。でも、少なくとも“家族”の捉え方を変えてあげて欲しい。そんなことを思う今日この頃です。