ストレッチと勉強

久しぶりに自宅でヨガをやりました。私は愛用しているヨガDVDを見ながらやることにしています。

ヨガをしていて、久しぶりに体が伸びていることを感じました。家でばかり過ごしていると、体が伸びなくても何も困らなかったし、伸ばすことも忘れていたかもしれません。久しぶりに体は伸びるのだということを思い出して、体の伸ばし方を思い出しました。

 

ふと思いました。勉強って実は頭のストレッチなんじゃないかと。

ストレッチを学んではじめて体の伸ばし方をや使い方を知ることがあるように、勉強も、頭の使い方、考え方を学ぶことが目的なんじゃないかと思いました。たとえば、国語の勉強を通してそういう価値観もあることを知る、歴史の勉強を通して過去の経験を学ぶ、理科の勉強を通して身の回りのものがどんな風にできているのかを知る、多くのことが、今まで知らなかった視点を持つことにつながっている。こういう見方もできるかもしれないという発想を身に付けることができる。

けして知識を覚えるためではない。

 

私の愛用しているヨガのDVDでは、できないという概念はなくて、できることを無理なくやること、自分の感覚を大切にしてあげることを伝えてくれています。勉強も同じなんじゃないかと思うんです。できないことが問題ではない。できないならできないなりの自分とうまく付き合っていくことの方が大切で、できないことに劣等感を抱かせる必要はないんです。

勉強ができることだけが最高の価値ではまったくないし、それよりも大切なことはたくさんある。たとえば、勉強はできなくても学校を楽しむことができている子がいるとしたら、それは素晴らしい能力です。

 

先生の本来の仕事は、その子に合ったストレッチの仕方、勉強の仕方を見つけることなのかもしれません。従来の計算の仕方ではうまくできないなら、別の方法を見つければいい、それも見つからないなら、誰に助けてもらうといいかを考えればいい。計算ができることが大事ではなくて、計算は生きるために役立つから、その方法をいかに獲得するかの方が大事。

その子なりのストレッチの仕方が見つかればいいんだと思います。

 

突き詰めて考えると、いろんなことの根本は同じように感じて、不思議です。